石は語る。国内や海外で拾ってきた石ころたち。なんの変哲もない石がとくにいい。
ロウソクの科学。ファラデー先生のように、目の前の現象を、魔法のように語りたい。
漢聲(ハンシェン)の編集哲学に感服している。いつだって文化は少数派から発酵する。
二分の一。もう半分を探すのが仕事の前半。後半は、二つで一つに仕立てていく。
本の道具が足りない。オートクチュールのように誂えたり、掛け軸のように設えたい。
編集の対象は、企業や地域から個人作家まで幅広い。編集は、漢方にも劇薬にもなる。
図書館があれば旅先でも入る。マングェルの『愛書家の楽園』は溺れるように読んだ。
茶はどれも好き。入れる茶碗はなんとなく決まっている。ほうじ茶のときは髙仲健一。
理想的なあり方は、本の世界の発明王として、新たな様式を発見しつづけること。
布の見本帖が手元に何冊かある。使うわけではないけれど、見本帖には目がない。
ルドフスキーのような発見者でありたい。世界中の無名の建築を再発見したように。
をかしな人。志ん生、ピーター・セラーズ、杉浦茂。一周まわって、チャップリン。
和風は嫌い。それよりも擬洋風や和魂洋才。たらこパスタみたいなミックス編集が面白い。
ガラスは壊れやすいから、フラジャイルだからいい。最近は、麦茶をカイ・フランクで。
夜見世に行きたい。縁日の日没頃から路上に屋台が並ぶ光景へ。谷内六郎の心地で。
企みのはじまりは、雑談・密談・余談から。差し掛かると、企画の尻尾が見えてくる。
霊感は全くないけれど、場や人に漂っている気の良い悪いは、繊細にキャッチする。
「相」の文字。フェーズを変える編集者になりなさい、と恩師の松岡正剛から頂いた一字。
机の上にあるもの。あめ玉、タバコ、類語辞典。インゴマウラーのDon Quixote。
寝て待つもの。郵便、振込、人の縁。営業をしないエジソンは、人のご縁が支えている。
名前を勝手につけるのは、昔から趣味でもあり、今では仕事でもあり、好きなこと。
ラルティーグが生涯アマチュアのカメラマンだったように、好きこそ物の上手である。
ムナーリは、よいお手本。本とプロダクトと学習を自在につないで、ユーモアたっぷり。
裏日本、裏社会、お内裏、路地裏。表より裏が気になる性分。うらの苫屋の秋の夕暮れ。
居住まいは、オキーフ、坂田和實、モランディに学ぶ。訪問するなら家より仕事場。
ノートはヒサエさんの誂えもの。「I SAW」「I WENT」「I READ」の3部作。
音楽は、低音が心地よい。ロストロポーヴィチ、トム・ウェイツ、ローランド・カーク。
黒と青のあいだのグラデーション。鉄紺、黒鉄、深藍、濃紺、それから紫も好きな色。
野草をさがして。事務所のある泰山館の近くを散歩しては、拝んで、摘んで、生けている。
マニュスクリプトや写本には息をのむほど美しいものがある。他人のノートは大好物。
玄関には注連縄をかける。一年を通して来客を迎え、年の変わり目に新調する。
文鎮に代わるもの。文庫、灰皿、磨製石器。最近は、望月通陽のアイアンオブジェ。
言葉で建築する。一冊の本から十万冊の本棚まで。情報のたてものを設計している。
エジソンは編集(EDIT)と本(HON)を掛け合わせ、発明王の名前で包んだ造語。
テヘランのバザール、プラハの郵便局、パリの朝食。エジソンはよく旅に出かける。
穴太の石積み。自然の石をそのまま積み上げて石垣をつくる石工の仕事にあこがれる。
白湯の人。スタッフの乙部恵磨は、沸かしたお湯を、熱燗みたいにちびちび飲んでいる。
餃子は作るのも食べるのも誰かと一緒に。餃子ロードはユーラシア大陸を横断する。
雪にふたつと同じ結晶がないように、よく見ればなずな花咲く垣根かな。小さきもの礼讃。
眼で聴く、眼で嗅ぐ、眼で味わう。眼で触れて、眼で通じあう。本は複眼で読む。
民話、民画、民具、民藝。作者名のないアノニマスな世界のほうが、よほど人肌を感じる。
社員食堂のように通っている中華料理店「Hibusuma」。名物は小籠包と豆板醤。
ゑひもせす。パーティや酒宴はやらない。節分、七夕、お月見などは、存分に愉快に。
筆記具は使い分ける。仕事の手帳には0.35mmのロットリング。読書には2Bの赤鉛筆。
文字の人をリスペクトしている。白川静、田中一光、良寛、花森安治、井上有一。
雪岱のように、余計なものを省いていって最後に気配だけが残る、そんな編集がしたい。
図鑑・辞書・辞典・字書・地図・年表。エジソンでもっともよく使われている書棚。